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ベンジャミン・ディズレーリの生涯

この背景には何があったのでしょうか。

思わず調べちゃいました。

イタリア系セファルディム・ユダヤ人の文人・歴史家アイザック・ディズレーリ(Isaac D'Israeli)の長男として誕生。13歳の時に洗礼を受け、キリスト教徒となる。17歳の時、弁護士事務所での勤務を始めるが、程なくして退職。以後、株式投資や新聞事業に手を出して失敗を続けたが、1826年に発表した小説『ヴィヴィアン・グレイ(Vivian Grey)』が大きな反響を呼んだ。これをきっかけに、彼は小説家としての地歩を固めた。


政治家として
1832年以来4度の選挙に出馬するが、いずれも落選。1837年に保守党(トーリー党)から議会に選出される。保守党ダービー内閣で3度蔵相を務め、その後、2度の首相も経験している。著名な事績としては、2度目の首相在任中に行った1875年にはスエズ運河(国際スエズ運河会社)の買収がある(株式の44%、17万株を取得)。なおこの買収に際して、英国政府はユダヤ人の大資本家ロスチャイルドから借金をしている。

1878年のベルリン会議では、ビスマルクの事実上の協力もあり、ロシアの南下政策を阻止することに成功した。なお当時のイギリスでは大英国主義と小英国主義の2つの考え方があったが、ディズレーリは大英国主義を主張した。小英国主義を主張した首相としては彼の前後に在任した自由党のグラッドストンがいる。

1880年にアフガニスタンでアフガン戦争が、また南アフリカで第1次ボーア戦争が勃発した。この相次ぐ反乱・戦争でイギリスは苦戦を強いられた。これによりディズレーリは求心力を失い、同年に行われた総選挙で敗北を喫し、責任を取って辞職。翌1881年に病死した。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年03月28日 19:29に投稿されたエントリーのページです。

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